関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

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2015.09.24 【報告】
第502回関西文学散歩
~古代の英雄たちへの挽歌~
2015年9月13日(日)終了 <天気:晴れ 参加人数45名>
「伝阿弖流為・母禮之塚」記念碑
京街道間の宿・橋本

 集合案内が送られてきて、今回のテキスト高橋克彦氏の『火怨-北の耀星アテルイ』を早速読んでみた。面白い! 上下巻だが、ついつい読まされてしまい、気付いたら物語終盤になっていた。われわれ関西人にとっては坂上田村麻呂は身近な人物で、阿弖流為(アテルイ)はその名前と、田村麻呂と戦って負けた人物ぐらいの認識だった。しかし物語で、当時の時代背景もよく分かり、大和朝廷が飛鳥時代から中央集権下になかなか組み込めない手強さだった蝦夷国の事情もよく分かった。

 牧野駅を出発、まずは「交野の春の桜狩…」ともうたわれた交野の鎮守社でもある片埜神社へ。野見宿禰を祀る古社だが、本殿の極彩色は豊臣秀頼寄進の由緒をいまに伝える。その境内を横切り、北側に隣接する牧野公園のやや西寄りに、小さな塚があり、これが「阿弖流為の首塚」と伝えられているという。講演では、「文献上は、アテルイが処刑されたのは河内国杜山、あるいは椙山とあり、河内の何処であるかは特定出来ていない。ここ〝宇山〟はその候補地の一つだが、ロマンとしてその場所は広く捉えれば良いのでは…」という事だった。その通りだ。京の都から、どのような形でアテルイと副臣モレはここ河内国へ送られてきたのだろうか。

 小説での処刑シーンは壮絶で哀切。首だけを出して地中に埋められ、2日後に鋸で首を挽かれるのだ。その直前に田村麻呂が二人に詫びる…。助命嘆願が叶わず、申し訳がないと、田村麻呂は交野の桜の下でアテルイと心を通い合わせる。

 光仁天皇時代に蝦夷国平定に派遣された藤原継縄の邸で、桓武天皇もしばしば行幸したともいわれるケイジョウ屋敷跡までの途中、休憩した二宮神社はお祭りの最中だった。最後に「アテルイの舞」があると聞き、居座る誘惑に駆られたが、京と河内を結ぶ淀川沿いの道も見ておきたい。後ろ髪をひかれたが、やはり、と橋本間宿までの道を急いだ。この先は男山が淀川に迫り出しており、桓武時代、陸路は八幡から男山を迂回せねば通じていなかった筈だ。講師の説明で、その道筋の困難さを想像しながら遊郭の名残りがある町筋を辿った。

 

テキスト:高橋克彦『火怨―北の耀星アテルイ』

コース:牧野駅…片埜神社…「阿弖流為の首塚」…牧野生涯学習市民センター(講演)…安養寺とケイジョウ(藤原継縄)屋敷跡…戊辰役橋本砲台跡…橋本宿…橋本駅<解散>

<報告:田添浩一>

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