関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

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2015.12.22 【報告】
第505回関西文学散歩
~夭折の画家・佐伯祐三と劇作家・森本薫 大淀中津で見た夢~
2015年12月13日(日)終了 <天気:晴れ 参加人数60名>
御堂筋線跨線橋から電車を見る
淀川堤の風景

 あれ、今朝も駅頭ではなく、路上の空スペースで受付? 前回につづき、大阪地下鉄の駅改札前での受付が出来ず、やむなく歩道脇のスペースで受付をされていて、朝からスタッフの方たちのご苦労を思いやった。

 今日はそんな、文化活動に理解を示さない大阪地下鉄沿線で夢を見ていた、若き佐伯祐三と森本薫の足跡を訪ねる文学散歩だ。佐伯は30歳と4カ月余りで渡仏中に、森本は東京で34歳と4カ月余の若さで亡くなっている。森本の代表作『女の一生』の主人公、布引けいの台詞 「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの」を刻んだ文学碑が、近くの中津公園にあるという。きっと彼らも、同様の心境で最期の時を刻んだのではないか……? そんな思いで、中津公園に向かった。

 行き掛けに、地下鉄御堂筋線の跨線橋に上がった。淀川を渡る上下線の電車が、市域の地下へと潜りこんでゆく、まさにそのトンネル出入り口が前方に見える。跨線橋は危険防止のためだろう、フェンスで囲われているが、電車が通り掛かり手を振ると、運転手も手を振って応えてくれ、心が通じ合ったような気がした。

 淀川堤へ上がり、きっと近くで生まれ育った佐伯も、森本も、眺めたであろう大阪随一の河川と沿岸の風景を眺める。「昔は田圃ばかりで、平面的やったけど、高層の建物がようさん建ったもんやなぁ」 そんな声が聞こえてくる。2人の芸術家も、幅広い豊かな川面と、空と、長い堤の、左右に画幅を広げた景観を見ていたのだろう。

 森本の文学碑から3.4分歩いたところに浄土真宗本願寺派の光徳寺がある。佐伯祐三が生まれたお寺である。境内の善隣館の前に「佐伯祐三生誕の地」碑が建ち、墓地入口付近の佐伯家の墓に眠っていると聞いた。隣接する会議室で高橋先生のお話を聞く。部屋の回りに数点の佐伯の絵が掛かっており、生前に型どったライフマスクや画集も見せていただいた。小説『佐伯祐三』をどなたかに執筆して貰えれば良いが…と思う。

 森本薫の生誕地を示す碑は建っていず残念だが、広徳寺からは徒歩で大阪駅方面へ15分ぐらいの距離だ。すぐそこは新梅田シティという名称で、新しい大阪の顔を見せているが、佐伯や森本がこの風景を見たら…。

 

テキスト:朝日晃・野見山暁治『佐伯祐三のパリ』、森本薫『女の一生』

コース:中津駅-豊崎西中公園-地下鉄跨線橋-淀川河岸-中津公園・森本薫文学碑-佐伯三墓
碑・光徳寺(講演・昼食)-富島神社-*井上友一郎生家跡-中津小学校(外観のみ)-中津
商店街-森本薫生家跡-南蛮文化館(非入館)-新梅田シティ-大阪駅<最終解散>
(*コース中の井上友一郎は戦前戦後に活躍した風俗小説作家)

<報告:田添浩一>

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