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2016.03.25 【報告】
第508回関西文学散歩
~二人のシスターの最期の地、崇禅寺界隈をたどる~
2016年3月13日(日)終了 <天気:晴れ 参加人数52名>
菅原神社にて
細川ガラシャ夫人五輪塔

 集合の阪急「淡路駅」、普段は通過するだけか地下鉄から阪急への乗換で利用するだけでした。大阪市街地から淀川を越えた淀川右岸にその街はありますが、いま駅前は高架工事と駅前整備で雑然としていて、こんなところに〝二人のシスターの最期の地〟があるのだろうか、と素朴な疑問が浮かびました。それも、一人はあの細川ガラシャ夫人。その辞世の歌とされる「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」はあまりに有名で、私も好きな歌の一首です。

 出発の合図で、一柳家という最初のポイントに向かいますと、そこは亀岡街道沿いで古い趣のある集落の中でした。途端に時代をタイムスリップした感じです。菅原天満宮の宮司さんのお話。「昔、菅原道真が土佐へ向かう途中、この辺りで船の中から〝淡路島〟が見えてきたと指さした地がこの辺り。それで<淡路>と呼ばれるようになったという伝説があります」と。う~ん、ホントのようなウソのような…。でもロマンですね~と、同道の男性が仰いました。

 淀川沿いの区民会館で高橋先生の講演をお聞きし、行基の開創という崇禅寺がもともと細川家の菩提寺であったこと、宣教師オルガンティノが、玉造の細川邸からガラシャ夫人の遺骨を掘り出して当寺でその菩提を弔ったなどのお話をお聞きしました。崇禅寺は淡路駅の一つ手前、梅田寄りの崇禅寺駅近くにある立派なお寺で、本堂裏手の墓地の東側の覆い屋にそのガラシャ夫人の立派な五輪塔は据えられていました。隣には細川持賢(もちかた)が〝嘉吉の乱〟で暗殺された足利義教(よしのり)の菩提を弔うために建立した五輪塔も並んでおり、その縁から、細川家の菩提寺となったということも合点がゆきました。

 解散駅へと向かう途中、左側に見えてきた大きな病院が淀川キリスト教病院でした。『土の器』では「サマリア病院」として登場するそうです。阪田寛夫が「さっちゃん」「おなかのへるうた」で知られた作詞家とは知っていたのですが、芥川賞受賞作家でもあったのですね。帰ったら早速、お母さんの闘病と最期の生き様を描いたというこの『土の器』を読んでみましょう。キリスト教でいう肉体と精神、そして死、きっとそんな事がテーマなのでしょうね。

 

テキスト:三浦綾子『細川ガラシャ夫人』(新潮文庫 上・下)、阪田寛夫『土の器』(文春文庫)

コース:阪急淡路駅<集合>-亀岡街道(一部)と一柳家(外観)-菅原天満宮-行友家(外観)-東淀川区民会館(講演)-淀川キリスト教病院―崇禅寺(細川ガラシャ墓)-法華寺(伝国分尼寺跡・境内のみ)-阪急・地下鉄柴島駅/阪急崇禅寺駅<解散>

<報告:岩井よおこ>

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