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2016.09.15 【報告】
第514回関西文学散歩
~異文化へのやさしい眼差し―ハーンが見た神戸~
2016年9月11日(日)終了 <天気:晴れ 参加人数43名>
中庭のある公館と栄光教会
小泉八雲コーナー(中央労働センター/平日のみ)

 旧版の『知られざる日本の面影』が、私の本棚に長く置かれている。若いころに読み、出雲や松江を初めて旅した。そういう意味で、ラフカディオ・ハーンは、私の出雲・松江への導き手だったが、その他には「耳なし芳一」や「ろくろ首」「雪女」などが収められている『怪談』しか読んでいなかったので、神戸とハーンの結びつきは意外だった。

 元町駅から山手に向かって歩いた。正面の「兵庫県公館」は、重厚なルネサンス建築のスケッチしたくなるような建物だ。昔はここが兵庫県庁で、ハーンは帰化手続のために度々訪れたそうだ。建物手前の東側には和風の別館があり、それらを取り巻く樹影と芝生のコントラストも整然として美しい。「平日ならば、建物内部も見学できますから…」という案内は、「きっとまた来る」と私を誘う。近隣の兵庫県民会館10階の講演会場の窓からは、その公館の中庭が望め、西正面の栄光教会の煉瓦作りの建物や周辺の木立が、お洒落な神戸を演出していた。

 明治27年(1894)にハーンが神戸で最初に住んだ家がこのすぐ近くで、『神戸クロニクル論説集』の口絵の写真が回覧された。1階は和風、2階は洋風で間口がやや広そうだ。たぶん、鯉川筋に面して建っていたのではないかと思われるが、その写真のリードの最後に「?」の記号があり、「確実では無いということのようですね」と注意が促された。2番目に住んだ家は、現在の中央労働センターのところで、「小泉八雲旧居跡」という立派な記念碑が建てられていた。この家に居た頃に帰化の決意を強くし、日本名を「小泉八雲」と決めて手続きを進めたらしい。帰化は明治29年(1896)1月15日に許可されたそうだが、東京大学からの招聘の辞令が届くまでの間、少し家賃が安くなる3番目の家に引っ越したのだろう。そして間もなく、1年9か月余のハーンの急ぎ足の神戸時代は終わりを告げた。出雲・松江で日本の神々を肌で感じたハーンには、当時の神戸は近代化・西洋化を急ぎすぎているように映ったのかもしれない。

 

テキスト:ラフカディオ・ハーン『新編 日本の面影』(角川ソフィア文庫)、『ラフカディオ・ハーンの神戸クロニクル論説集』(恒文社)

コース:JR元町駅…兵庫県公館(外観のみ)…兵庫県民会館(講演)…ハーン最初の寓居跡…相楽園…兵庫県庁(外観のみ)…ハーン2回目の寓居跡と顕彰碑…関帝廟…ハーン3回目の寓居跡…高速神戸西元町駅(解散)…JR神戸駅(最終解散)

<報告:岩井よおこ>

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