天気:晴れ 参加人数57名
久坂葉子という作家を知らなかった。第2日曜日が私用と重なってなかなか参加できず残念だったが、今回は集合案内に「18歳で芥川賞候補となり、その3年後、21歳の時に投身自殺を遂げた」とあって吃驚し、これはどうあってもお話を聞きに行きたいと、予定をキャンセルして久しぶりに参加した。行き先は六甲山だから少しは涼しいだろう。いやいやそう甘くはなかったが、ロープウェイを下りると「風の丘中間駅」の付近はいくぶん涼しい風が渡っていた。
「ショートカットで近道を行きますが、その分、急な下りです。手すりをしっかり持って下りて行ってください」の声に、のっけから身が引き締まる。樹間に見え隠れするダムの水面。その布引貯水池へ急降下の山腹をジグザグの遊歩道で下る。そこからは、布引川(生田川)に沿った、雄滝・夫婦滝・鼓滝・雌滝を辿りながらの道で、それに今日は、いつもなら見られない「かくれ滝」がのっけに、貯水池のダム近くで勢いよく水しぶきをあげていた。これを最初に見ることが出来るのは幸運だそうだ。
そして、猿のかずら橋を見学し、見晴し展望台でお弁当を広げた。皆、思い思いに炎天下を隅どる影を見つけて昼食している。食後、「三十六歌碑」の最初の歌碑を読む。「布引のたきのしらいとうちはへて たれ山かせにかけてほすらむ」と後鳥羽帝の歌が石に刻まれていた。食後はいよいよ川崎財閥の創始者・川崎正蔵氏の開基という「大円山徳光禅院」だ。久坂葉子の本名が川崎澄子とあり、このお寺の観音堂に眠っているらしい。
今日の資料に彼女の年譜があり、自殺未遂の個所が濃く太字になっていた。テキストの『幾度目かの最期』の幾度がこの数次と重なり、5度目に彼女は阪急電車の特急に投身したという。題名そのままの自死だった。なに不自由なく育った彼女は、どのような理由で自殺を決行したのだろう。テキストを読んだが、明確な答えは得られない。自死に、もともと明確な理由などはないのかもしれない。富士正晴の『贋・久坂葉子伝』でも、富士は結局分からないと結論しているようだ。富士は彼女をクィン・エリザベスと形容している。美しく、才気煥発で、思い切り燃焼したのだろう、ボビちゃんと呼ばれていた彼女。いまも、研究会があるそうだが、生前から慕われ、そして将来を期待されていたようだ。
お寺は森閑としていた。禅寺らしい佇まいで、布引の滝道が近くに通じているとは思えないが、私たちは石段と坂道を上がって、その滝道へ戻った。日曜日で、私たち以外にも多くの人が上って、また下っていく。雄滝の流れ落ちる音にその勇壮な姿態に久坂葉子が呑み込まれていくようだ。彼女は今も、この音をきっと聞いているのだろう。私は雄滝の姿と音に救われた気がして、新神戸駅へと下った。
テキスト:久坂葉子「幾度目かの最期」(講談社文芸文庫)、富士正晴「贋・久坂葉子伝」(講談社文芸文庫)
コース:JR「三ノ宮駅」=<地下鉄約5分>=「新神戸駅」(集合)…ハーブ園山麓駅=<ロープウェイ>=風の丘中間駅…布引貯水池…布引五本松堰堤…猿のかずら橋…徳光禅院…雄滝とおたき茶屋…砂子橋…JR「新神戸駅」(解散)=<地下鉄約5分>=JR「三ノ宮駅」
<報告:岩井よおこ>