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2017.12.27 【報告】
第529回関西文学散歩
~怨霊から御霊になった早良親王と御霊信仰~
2017年12月10日(日)終了 <天気:晴れ 参加人数51名>
JR奈良駅集合
鎮宅霊符神社

 今月のテキストは、杉本苑子『壇林皇后私譜』。これまで全く知らなかった初読の歴史小説だ。この会は、食わず嫌い・読まず嫌いの作品を読む機会も与えてくれ、「あれっ、面白いじゃないか」と新鮮な読後感に浸れるところが良い、と常々思っているが、作品のテーマは<怨霊>。10月に三枝和子『薬子の京』で文学散歩した長岡京(京都府長岡京市)での早良親王も怨霊になった一人で、今日はそのつづきの話でもあるようだ。

 本日のレジュメは講師の田中先生が作成されたもので、その冒頭に「貞観5年(863)5月20日、神泉苑(現、京都市内)に於いて御霊会を修す」と『日本三代実録』に記された御霊会の始まりが紹介されている。貞観5年といえば清和天皇の時代、早良親王を死に追いやった桓武天皇(在位781~806)から数えて7代後の時代である。その日本最初の御霊会では、崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原夫人(吉子)、橘大夫(逸勢)、文大夫(文室宮田麻呂)、観察使(藤原仲成、もしくは広嗣)が祀られ、これを「六所御霊」とするらしい。これとは別に、現在の奈良町界隈では神泉苑での御霊会の後年、疫病流行の際に、中街道に井上皇后、下街道に他戸親王、上街道に早良親王の神輿を据え、疫魔の侵入を防ぐ信仰が続いたという。

 六所御霊の六柱と後年の三柱などは、皆、現世に怨みを持ち、天災や疫病などの魑魅魍魎の疫神となって都に災いを起こしたという。杉本苑子はテキストで、「まだ都が奈良の平城京にあったころ、怨霊たちの雄たけびはすさまじくなまなましく…<中略>…幽鬼の噂を人なみに恐れながら、心の奥の奥では、形あるものとしてその存在を、嘉智子(後に壇林皇后)はどうしても信じられずにいた。」と、現代的な視点を主人公の嘉智子に持たせている。

 コース最初の鎮宅霊符神社は、「南都四箇陰陽師仕之」と伝わる陰陽師鎮守の祭壇所で、南都平城京のまがまがしさも伝わっているように思えた。そして次は、奈良町御霊神社だ。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:テキスト:杉本苑子『壇林皇后私譜面』(中公文庫)、『続日本紀』(全現代語訳:講談社学術文庫)

コース:「奈良」駅…鎮宅霊符神社…御霊神社(奈良町)…井上神社…崇道天皇社…「京終」駅=<桜井線乗車>=「帯解」駅…広大寺池…龍象寺…南部公民館(講演)…帯解寺(一時解散、以降参加自由)…崇道天皇八島陵…八島町バス停―近鉄奈良駅・JR奈良駅

<報告:田淵浩一>

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