関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

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2018.05.01 【報告】
第533回
~鷹ヶ峯の芸術村、『嵯峨野明月記』の世界で太夫道中を見る~
2018年4月8日(日)終了 <岩井よおこ記>
太夫道中
源光庵にて、血天井を眺める

天気:晴れ 参加人数:57名

「太夫道中」― 島原輪違屋などの太夫さんが[内八文字]で練り歩く道中は、最近は清凉寺などでも行われたりしていますが、前々から見物してみたいと思うものの、その機会を逃していました。今回のウォーキングの題名に「…太夫道中を見る」とあって、事務局へ近くで見られる?などと失礼な問い合わせをして、勇んで出掛けました。二条駅前からは、当会専用のチケットを貰って京都市バスに乗り込み、約20分強で「源光庵前」に到着。太夫さんたちの到着が少し遅れていて、でも、沿道で待つこと10数分ほどで、いよいよ華やかな絵巻がスタートしました。

 先頭は、禿2名を先導役に、介添の引船(ひきふね)さんと呼ばれる女性に手を取られた「桜木太夫さん」と傘持ちの男衆(おとこし)さん。たしか、幕末・維新の頃に「維新の名花」とも言われた島原の名妓に同じ名前の太夫がいるので、多分、2代目さんなのでしょう。そして次の薄雲太夫さんと3番目の如月太夫さんの先導の禿ちゃんは1名ずつでした。<お名前は後日、常照寺にお聞きしました。なお江戸吉原は花魁で、道中は外八文字だとか…>

 で、なぜ常照寺で太夫道中が開かれているかというと、江戸時代初期に名妓といわれた2代目吉野太夫は、当時の豪商や公家、文化人たちと親交があり、本阿弥光悦の甥の息子である灰屋紹益と恋愛し、結婚したという経歴の持ち主。それで、常照寺に若くして亡くなった吉野太夫のお墓があり、毎年彼女を偲んで「吉野太夫花供養」が行われているのだということでした。そういえば、この辺りに本阿弥光悦が興した芸術村があり、そんな関係から、今日のテキストが『嵯峨野明月記』と『小説日本芸譚―光悦』なのですね。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:辻邦生『嵯峨野明月記』(中公文庫)、松本清張『小説日本芸譚』(新潮文庫)

コース:JR二条駅―<市バス>―鷹峯源光庵前バス停…「太夫道中」見学…源光庵―常照寺…瑞芳寺…お土居①…お土居②…今宮神社<解散>…最寄りバス停

<報告:岩井よおこ>

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