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2019.04.25 【報告】
第544回
~明智光秀「愛宕百韻」の虚と実を西国街道に訪ねる~
2019年4月14日(日)終了 <池内洋記>
西山天王山駅集合
恵解山(いげのやま)古墳

天気:雨 参加人数:32名

 例年、入学式の頃は、冷えると申しますが、今日4月14日は、正に花冷えのハイキング日でした。阪急・西山天王山駅に集合後、地元ボランティアガイド5名の案内で、ウオーキングに出発しました。お天気も、どんよりとして雨になりそうでしたが、しばらく歩くと、やっぱり小雨が、降ってきました。普段、山崎合戦は、秀吉の大返しとして、有名ですが、今日は光秀の側から、山崎の戦いを、振り返りますとガイドさんが、話されました。

 光秀には、主殺しとか、裏切り者等の、悪評もありますが、非常にすぐれた、武将でもあったそうです。来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、長谷川博巳さんが明智光秀役を演じるそうです。歴史は、勝者の側から描くことが一般的ですが、光秀の側から演じることで、今までの常識が、覆るかも知れません。

 さて、ガイドさんが、光秀本陣跡と伝えられている「御坊塚(おんぼうづか)」へ案内してくれました。小高い古墳が南北に2ヶ所あります。というのは、2つの本陣跡は、長岡京市と、大山崎町にあり、どちらも真の本陣跡と主張しているようです。一つは国の史跡に指定されている恵解山(いげのやま)古墳。大山崎町の方は境野1号墳。いずれの古墳からも、当時のものと思われる武器類などが発見されているといいます。

 双方で、3000名の戦死者が、出たそうです。戦いは、兵力(秀吉側およそ4万、光秀1万6千)にまさる秀吉の圧勝、1582年7月12日午後4時に、円明寺川(現、小泉川)を挟んで開戦となり、3時間で決着しました。その決戦場だという川沿いの小公園に「古戦場跡」の石碑がありましたが、もしかすると、両方の古墳は、いずれも光秀群が陣を引いた場所ではなかったのか、と僕は推理してみました。前陣と後陣で、前陣には決戦場に近い事から、斉藤利三らが居たのではないか……?

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:中山義秀『咲庵』(中公文庫)・司馬遼太郎『国盗り物語』(新潮文庫)

コース:「西山天王山」駅(集合)―山崎合戦・明智本陣跡―山崎合戦古戦場の碑―小泉川(円明寺川) ―西国街道山崎宿・東黒門跡碑―桜の広場公園―山崎聖天・観音寺(希望者のみ)―大山崎町歴史資料館―阪急「大山崎」駅(解散)―JR「山崎」駅

<報告:池内 洋>

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