関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

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2019.12.26 【報告】
第552回
~確率論から読み解く新しい歴史小説のスタイル~
2019年12月8日(日)終了 <田淵浩一記>
垣根涼介『光秀の定理』(角川文庫)
室町第跡

天気:時雨のち晴れ 参加人数:35名

 今回は初読の作家の作品で、垣根涼介氏の『光秀の定理』だ。少しこの垣根氏について調べてみると、ミステリーの分野でデビューし、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の三冠受賞を果たしたという。その後はサラリーマン小説や恋愛小説も発表、「光秀の定理」では歴史小説にも挑戦し、ほかに「室町無頼」「信長の原理」も発表しているという。もともと、小説にジャンルがあるのがオカシイというのが僕の浅博な持論、人間はミステリアスだし、現代といっても連綿たる歴史の延長線上、という意味では現代小説も歴史小説でなければならないと思うのだが、いかが?

 さて『光秀の定理』は、洛中の辻でサイコロバクチを生業にする愚息と名乗る破戒僧と、その用心棒のような武芸者の玉縄新九郎という架空の二人の人物が、明智光秀とはじめて出会う場面から始まる。そして光秀が織田信長と出会い、本能寺の変に突き進んでいく様を、彼らに語らせるという趣向だ。

 光秀が二人と出会った頃は、細川藤孝(後の幽斎)の屋敷に居候している身分だ。そこで、今日のコースポイントの一番目は、その細川邸を目指した。このカルチャー散歩の今年9月に、平安京跡を歩いた。当時の大内裏の北辺が一条通りで、だいたい地図が頭に浮んでいる。作品中「一条大路を西に進んだ大宮通りの角に、白い築地塀が崩れ放題になった、老松の盛んに生えている屋敷がある。さらには波打った入母屋屋根を見ればわかる。鬼瓦に、二つ引き両の家紋が見えるはずだ。その屋敷だ」と垣根氏はその細川家京屋敷を特定している。そして明智光秀は「その屋敷に居候の身だ。離れの小屋を借りて住んでいる」のだ。その位置に、いまは石標が建ち、側面に「此付近 応仁の乱ゆかりの地 細川勝久屋敷跡」とあった。勝久といえば備中細川家の出で、藤孝は和泉細川家出身である。年代も違うから、勝久の屋敷がすでに荒れていて、藤孝はそこに住んでいたのかと想像してみた。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:垣根涼介『光秀の定理』(角川文庫)

コース:地下鉄「丸太町駅」─京都社会福祉会館(講演)― 一条戻橋(駒札)─細川藤孝(幽斎)屋敷跡─晴明神社─白峯神宮(蹴鞠の碑など)―本阿弥光悦京屋敷跡―足利将軍室町第跡―地下鉄「今出川駅」

<報告:田淵浩一>

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