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2014.11.14 【報告】
第492回関西文学散歩
~マッサンのウィスキーが生まれた町と実験住宅「聴竹居」~
2014年11月9日(日)終了 <天気:雨のち曇 参加人数68名>
サントリー山崎蒸留所奥の椎尾神社

 朝からあいにくの雨だったが大勢の人。マッサン人気か、話題の「聴竹居」目当てか? 僕はどちらかというと後者だ。しかし、その見学は昼食を済ませて午後からとのこと。1階の和室で、地元のふるさとガイドの方々3名から〝山崎〟について、それぞれお得意の角度・分野からの講義を受け、2階の資料館を見学。

 僕の主観を交えて講義を纏めると、天王山と男山の間の山峡右岸にへばりつくように発達した小さな町ながら、山崎は古代からの交通の要所で、さまざまな歴史が地層のように堆積している町というイメージ。自ずから文学作品も沢山生み出された。『記紀』はもとより万葉集や平安期の和歌、絵物語に『土佐日記』、山崎合戦は多くの歴史小説で描かれ、司馬遼太郎は『国取物語』で斎藤道三が山崎の油売りから身を起こしたと書き、谷崎は『蘆刈』で「遠くから手招きしているやうなあの川上の薄靄の中へ吸い込まれてゆきたくなる…」風景を描いて幽玄の世界へと読者を誘った。明治初期の茶道の没落と復興を描いた宮尾登美子の『松風の家』に登場する国宝茶室「待庵」の復元建物の展示もある資料館を見学し、昼食後は「聴竹居」へ向かった。

 JRの踏切を渡り、右手は加賀証券社長・加賀正太郎が別荘として使っていた大山崎山荘。現在は美術館だが、加賀は、マッサンの余市での会社創立の資金提供者だったそうだ。いまは美術館にもなっている山荘の西側、左に道を取って坂道をのぼると「聴竹居」。49歳で亡くなった藤井厚二の遺作である。藤井は当地に約1万坪の土地を買い求め、約2年ごとに自邸を建てては人に譲り、これを4回繰り返し、自らが実際に居住することで日本の風土に適した〝住宅の理想〟を追求したという。

 昨年6月に天皇皇后両陛下が京都滞在中に見学を希望され視察された後、見学者が後を絶たないそうだが、加賀正太郎とも親交があった夏目漱石が、建築家を目指していた時期もあったそうで、見学待機中に紹介された若山滋『漱石まちをゆく─建築家になろうとした作家』(彰国社)も、ゆっくり読んでみたいと思った。

 

テキスト:紀貫之『土佐日記』、宮尾登美子『松風の家』ほか

コース:JR山崎駅…ふるさとセンター・大山崎歴史資料館 (講演と見学)…聴竹居…サントリー山崎蒸留所(構内:椎尾神社参拝とウィースキー資料館見学後、解散)…JR山崎駅<希望者有志は駅前から専用送迎バスで大山崎山荘美術館へ>…阪急山崎駅

<報告:田添浩一>

 

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