1週間ほど前から、テレビなどで「猛暑、猛暑」の連呼。この日も「大阪37℃」の予報で、さすがに参加者は少なかった。しかし、緑陰の道やクーラーの効いた休憩所、資料館見学などのコース設定、それに「影を慕いて…ではないですが、日陰を選んで進行しましょう」という呼びかけで、意外や、日陰は風が通って汗も引いた。
今年は事実上、外国館が参加して日本で初めての万国博覧会だったという第5回内国勧業博覧会(1903年開催)から110年目。天王寺公園や新世界は、その会場跡地が整備開発されたエリアだという。僕は大阪生まれではないので、そんな話が余計に「ホー! フーン!」と新鮮。生粋の大阪人さんたちも明治36年当時の状景を想像しておられるのか、聞き入っている様子だ。当時の会場全景図のコピーが回覧され、ちょうどいま立っている公園南東辺りに「望遠楼」と呼ばれた大林高塔があったことを知って臨場感が増した。
住友家本邸の庭園だったという慶沢園では、ちょうど浴衣姿の二人のモデルさんの撮影会開催中。美人の一人は「ミス・レースクイーン」だそうで、庭園もさることながら、しばし撮影風景に見入ってしまった。
さて、大坂人の権威にへつらわない性格などを、小西來山の句「御奉行の名さえも知らず年のくれ」や「門松や冥途の旅の一里塚」などに、さらに「王将」で有名な将棋士・坂田三吉の生き様や独特の勝負の技、それに惚れ込んで小説「聴雨」「勝負師」を遺した織田作之助に大阪人の気概を見るというのが、本日のテーマだった。これら3人の慣習や常識にとらわれず、権威を何するものぞの気概に〝大阪人〟の反骨があり、それを培ったのが大名の居ない大坂城足下の町で栄えた町人たちの自負。それに支えられ、勧業博覧会も大成功させて繁栄した「大大阪時代」の心意気があったことを想像してみる。
新世界稲荷(福本稲荷)のおみくじは、番号を刻んだ石の車輪を回す。窓口に除く番号がその人の今日の〝運〟で、横に掲げられた黒板の番号の下にはそれぞれ「大吉」や「吉」の文字と運勢の説明――これも、実に合理的で大阪人らしい趣向である。観光客が押し寄せる新世界には、古く良き大阪も残されていた。
テキスト:織田作之助『聴雨』、來山を読む会『來山百句』
コース :地下鉄・天王寺駅…<歩行者専用トンネル>…天王寺公園【公園…美術館(外観のみ)…慶沢園…茶臼山】…一心寺【徳川仙千代の墓…家康・大坂冬の陣本陣跡…小西來山の墓…本田忠朝の墓…來山句碑…日想殿で休憩…家康ゆかりの松】…合邦辻…新世界【新世界稲荷神社(福本稲荷)…登録有形文化財「再会」…王将碑…朝日劇場資料館…大阪国技館跡】《解散》
<報告:田添浩一>