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2015.01.22 【報告】
第494回関西文学散歩
~吉田松陰の大阪巡歴―中左近との出会い~
2015年1月11日(日)終了 <天気:晴れ 参加人数63名>
中家正面

 明けて新年初頭の文学散歩は、大河ドラマ「花燃ゆ」に因んで、主人公の兄、吉田松陰の大坂での足取りを追うというもの。松陰が九州から東北までの各地を巡ったことはよく知られているが、大坂、広げて畿内の訪問先については大和五条の森田節斎宅以外は、あまり知られていない。本日は泉南市熊取に重要文化財として公開されている中家住宅訪問というので、興味津々で仕度をして出かけた。

 表題に中左近とあるが、中家の長は代々左近を名乗っており、松陰が接見したのは瑞雲斎という人物と冒頭に説明があった。瑞雲斎についてはよく知らなかったが、紀州根来衆家の出身で中家の養子となり、尊王攘夷に奔走して後に崇徳上皇の神霊帰還運動にも没頭。維新後は新政府の開化路線と衝突して内乱陰謀罪で獄死したと、講師の熊取町教育委員会の立石則也先生は話された。立石先生は、午後から町の成人式があって…と中座されたが、24歳の松陰が、嘉永6年(1853)に大和五条の節斎の仲介で富田林、岸和田、貝塚を経て、同年3月3日に熊取町の中家を訪れ5日までの3日間、瑞雲斎や近くに住む左海裕斎と親しく意見交換をし合ったようだと説明され、座を辞された。

 後白河法皇の行宮ともなったという国指定の重要文化財・中家住宅は、江戸時代の遺構を残した立派な建物。瑞雲斎と松陰が膝を交えたのはどの部屋であったのだろうと思いながら屋内や、屋外の御成り門の一画を見学した。この後は、講師からバトンタッチした案内役の横井三保さんから、ドラマ「花燃ゆ」の主人公・文と、松陰、そして後に文の二度目の夫になる小田村伊之助(後に楫取素彦)の関係やドラマの展開について簡単な説明があり、松陰の大坂巡歴の資料『癸丑遊歴日録』(きちゅうゆうれきにちろく)や中国清の情勢について記した『清國咸豊乱記』の内容が紹介された。この時、松陰は瑞雲斎から清国の状況をよく聞き、自らの目でそれを詳らかに見聞しようとおもったのではないか、と想った。松陰はその足で黒船(最初の来航)を見に行き、翌嘉永7年(安政元年、1854年)3月28日に来航(2度目)した黒船で密航しようとして捕らえられている。

 午後からは予定のコースを巡ったが、松陰の大坂巡歴に関する決定的な書物が未刊だけに、自由に様々な想像が広がる文学散歩であった。

 

テキスト:秋山香乃『吉田松陰 大和燦々』、葉室麟『春風伝』、大島里美ほか『花燃ゆ』(ノベライズ)

コース:JR熊取駅…中家住宅…熊取交流センター・煉瓦館…降井家書院(外観のみ)…西之山大師堂…市立泉佐野歴史館…JR「熊取」駅

<報告:田淵浩一>

 
 

*12月に陳舜臣さんが阪神淡路大震災の一日も早い復興を希って書かれた「神戸へ」(『神戸ものがたり』所収)をテキストに、「陳舜臣アジア文藝館」を見学して陳さんの人と業を改めて知り、震災の爪痕も残る神戸旧居留地周辺を散策しました。その陳舜臣さんが1月21日、老衰のために亡くなられました。とくに12月にご参加いただいた方々と共に、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

<事務局>

 

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