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2020.06.25 【報告】
第556(JR558)回
~「島津の退き口」と『冥途の飛脚』の結末を歩く~
2020年6月14日(日)終了 <石井慎二記>
三輪の茶屋跡
島津義弘公ゆかりの寺

天気:曇のち晴 参加人数:39名

 第556回の文学散歩だという。「JRふれあいハイキング」の案内には第558回とあった。3月の長光寺城行が通算で555回目だから、JRとはズレが生じてしまったのだ。新型コロナウィルスの脅威は、この回数にも及んでいる。

 さて、集合駅のJR三輪駅の近くに『冥途の飛脚』の三輪の茶屋跡があり、いまは庭内には入れないので、写真を見せてもらい門扉越しにその碑を覗いた。その家の前の道が初瀬街道に通じるという。封印を切って、公金横領の罪に問われた忠兵衛は、愛する梅川を連れて、初瀬方面へ逃避行を重ねようとしていたが、ふと新ノ口村に住む実父のことが気になり、一目会いたいと踵を返した。梅川も「是非に私も……」と、二人は三輪から初瀬とは反対方向へと進んだ。それが運の尽き。新ノ口村で待ち受けた取り手に囲まれて御用、となった。

 藤堂藩の記録、「永保記事略」宝永7年(1710)正月25日に記された事件の顛末が、近松門左衛門や紀海音などによって戯曲化され、物語が人口に膾炙したのだという。

 そんな話を聞いているうちに、前夜の篠突く雨が打って変わって6月の太陽の日差しへと変わった。いや~、蒸し暑くなった。次の行き先が「島津の退き口」で、島津義弘が逃げ込んだという平等寺である。境内のベンチが雨でぬれているからと、ご本堂に上がらせていただき、永平寺副監院でもいらっしゃるご住職の丸子孝法老師からお話を聞くことになった。著者の池宮さんは執筆時に不明だったのだろう、関ヶ原から大阪へと義弘を逃げ延びさせているが、事実は、伊勢街道から伊賀を経て大和街道を東進、大神神社の神宮寺だったこの平等寺へと逃げ込んだ。その記録が薩摩藩に残っているそうである。それで、鹿児島県人会が「島津義弘公ゆかりの寺」という幟旗がご本堂の角に掲げられている。

 義弘一行は70名ぐらいで80日あまり逗留し、退去の折には平等寺から銀一貫目を借用したのだという。島津家は曹洞宗で、その縁もあったのだろうし、当時の寺域はご本堂に絵が掲げられていたが、現在とは比べようもなく広かったようだ。一行は僧侶に身をやつし隠れ住んでいたそうだが、ご住職からはお釈迦様の言葉「脚下照顧」、自らの足もとを顧みる生き方を求めようという有難いお話もお聞きした。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:池宮彰一郎『島津奔る』(角川文庫)、諏訪春雄・訳「冥途の飛脚」(角川ソフィア文庫『曽根崎心中』所収)

コース:三輪駅―三輪茶屋跡-三輪恵比須神社―平等寺―大神神社―二の鳥居―若宮社(大直禰子神社)―久延彦神社―大美和の杜展望台―狭井神社―弁天社古墳―茅原大墓古墳―慶運寺―JR「巻向」駅

<報告:石井慎二>

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