関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

ホーム > 関西文学散歩 カルチャーウォーキング > 報告 > 詳細
2022.04.28 【報告】
第566回
~二条城で新旧二人の作家の作品を読み比べる~
2022年3月13日(日)終了 <石元英雄記>
開陽堂(若州小浜藩邸跡)にて
二条城

天気:晴れ 参加人数:40名

 「蔓延防止」なる措置のため、何回かお流れになった。久しぶりの文学散歩である。
京都・二条駅に集まったのは40余名。

 今回は、今なお評価の定まらない徳川慶喜がテーマである。(司馬遼太郎『最後の将軍』と家近良樹『その後の慶喜』がテキスト)

 この案内を頂いた時、それほど興味が湧かなかった。数年前に2度、二条城を見学していて、司馬遼太郎の当該作品を20数年前に読んでいて、慶喜の大阪城からの夜逃げについては、他の本でも読み「けったいな御仁」といった印象で、それ以上のことを想う気持はなかった。また初めて知った『その後の慶喜』も読むことなく参加した。

■若州小浜藩邸跡
 駅広場の東側にある朱雀門跡の石碑他を見た後、京都西町奉行所跡や東町奉行所跡まで少しの距離を歩いた。なるほど京都である。歴史を伝える石碑が所狭しとある。
  次は、若州小浜藩邸跡だ。小浜藩邸についてこの跡の一角にある、刀剣古美術商「開陽堂」の店主・横田俊宏さんが説明して下さった。
  慶喜が二条城に移るまでの4年近く過した屋敷である。ここで「大政奉還」の構想が論議されたのである。

■二条城(世界遺産)
 いよいよ、今日のメインの「二条城」である。小浜藩邸跡から北東の方角に10分も歩けば東大手門だ。
  修学旅行の生徒や一般の観光客が多数、訪れていた。コロナ禍で外国人がやってこないせいで、雑踏状態になっていないのがうれしい。
  二条城は1603年(慶長3年)家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城したものだが、1867年(慶応3年、徳川慶喜が二の丸御殿で徳川家による政権を朝廷に返上することを告げたという、歴史的に極めて有名な城である。

■『最後の将軍』を再読する。
 このレポート書くに当たり、この本の後半3分の1以降を読み直した。
慶喜は教養人で時の趨勢もよく読み取る。が、いかんせん「武士」ではない。政治の「キャスティングボード」に未練を持つが、覚悟がない。司馬さんはそんな「軟弱な」貴公子慶喜をよく描いていると感心したところだ。
この時期の慶喜は「朝敵になるな」だけを死守し、我が命を長らえることに終始し切腹の美学も持ち得ない、リーダーになり損なった将軍であるというのが結論ではないか・・・。

 

 ≪続きは上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:司馬遼太郎「最後の将軍」(文春文庫)、家近良樹「その後の慶喜」(ちくま文庫)

コース:「二条」駅…二条駅前広場…朱雀門跡の石碑…若州小浜藩邸跡…二条城東大手門…唐門…二の丸御殿…二の丸庭園…二条城西南隅櫓…JR二条駅または地下鉄「二条城前」駅

<報告:石元英雄>

 

織田作之助賞
織田作之助青春賞
文學回廊
入会のご案内はこちら
PDFの閲覧はAdobe Readerを
ダウンロード(無償)してください。
ページの先頭へ