関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

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2023.09.05 【参加要領】
第583回
大宅壮一と川端康成が生まれた町は今…
2023年9月10日(日)開催

こちらは終了致しました。

「川端と大宅はともにすぐ近くの村に住みながら互いに顔を知らない。川端と大宅の俳句が同時期の投稿誌に掲載されている。―「五月雨や湯に通い行く旅役者」(川端康成『文章世界』大正5年8月号/「ブランコの上りし時や花吹雪」(大宅壮一『日本少年』大正5年3月号))」
 と、『マガジン青春譜』の著者・猪瀬直樹さんは紹介しています。

 明治32年(1899)、大阪市内で生まれた川端康成は、幼くして両親と死別、祖父が住む茨木市宿久庄で暮らしました。そして、大宅壮一は明治33年(1900)に、現在の高槻市富田の裕福な醤油醸造の店で生まれています。富田は「江戸も称賛した銘酒の町」と言われ、最盛期には24軒ものつくり酒屋があって「北摂三銘酒」として栄えた町でした。現在は、茨木市と高槻市で市域が異なりますが、郡制が廃止され、市制が発足するまでは、ともに三島郡で、川端と大宅はそんな地続きで生まれたのでした。

 二人はともに茨木中学校(現、府立茨木高等学校)へ進学します。そして、明治28年に雑誌『太陽』を創刊して黄金時代を築いた総合出版商社の博文館が発行していた『少年世界』や『中学世界』に、ともに投稿を続け、文章の技を磨きました。そして、川端は文学の道へ、大宅はジャーナリスト・評論家の道へと進み、ともに、その道で頂点を極める逸材となりました。

 今回は、北摂の地続きの村で生まれ、世界に羽搏いた二人の作家と、同時期に登場する菊池寛を絡めながら、当時の〝マガジン文化〟を追って、大宅壮一が生まれた富田の町を歩いてみます。

 

*どなたでも事前の申込みナシに自由に参加できます。

*集合場所・集合時間など、詳しくは事務局(電話:06-6775-1567 Fax:06-6775-1568)へ
お問合せください。

*緊急事態宣言などが発令された場合は中止

●コロナ感染防止対策について●
・マスクの着用は、ご自身でご判断ください。(スタッフは着用させて頂きます)

 

カルチャーウォーキング

参加費 会員=1,800円
[会場費・ご志納・資料・保険料等を含む]
一般(会員外)=2,300円
[会場費・ご志納・資料・保険料等を含む]
その他 雨天も実施。 *午前7時に大雨洪水警報発表の際は中止
お弁当、お茶を携行してください。
参加者の不測の事故につきましては、応急の処置以外の責任は負いかねます。
織田作之助賞
織田作之助青春賞
文學回廊
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