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2013.09.24 【報告】
第479回関西文学散歩
~司馬遼太郎「街道をゆく」と古代信仰の山〝葛城山〟~
2013年9月8日(日)終了 <天気:雨のち曇 参加人数23名>
阿波野青畝句碑
大和三山を望む

 土曜日からの雨が今朝も止まず、今日は葛城山山頂まで行くのに…と、恨めしく空を見上げました。いっそ、休もうかとも思ってもみたのですが、昼前には上がりそうともいうので、意を決して出掛けました。ところが、集合場所の御所駅に着いて、臨時の貸切バスを待っている間に、西側の葛城山に掛かった雲はスイスイと流れ、晴れとは言わないまでも、雲間に青空も見え、集合者も雨を予想されたのでしょう、少なかったのですが一同に「オー」と歓声。勇んでバスに乗り込みました。 

 雨で取り止めた人たちのお陰(?)で、バスの座席は全員確保。悠々と葛城山を目指し、ロープウェイも1回で全員乗車することが出来、いつになく和気藹々ムードです。

 毎回配布されるレジュメの今月分冒頭に「この葛城山麓で古代さかえた王朝−−葛城国家といっていい−−が、その後大和盆地で成立する天皇家より当然ふるいという印象は、あくまでも印象だがどの古代史家も否定できないであろう」<『街道をゆく①−葛城みち』より>と紹介されています。ロープウェイの車窓からはその大和盆地、「くんなか」ともよばれる盆地が、畝傍・耳成・天香久山を島のように浮かび上がらせているのが見えます。この山麓にワカタケル大王に滅ぼされた葛城一族が蟠踞していたと想像してみると、「くんなか」の王家一族との対立が、地形的に納得できるような気がました。そして、頂上の葛城ロッジ研修センターで、田中龍夫先生の講義をゆっくりとお聞きしていよいよその感を深くし、役行者がこの山麓の一族にとっては離反者だったのではという司馬遼太郎の描き方も理解することが出来ました。

 遅目の昼食の後、ロッジの回りを皆で周遊したのですが、霧が出てきて自由行動は取り止め。頂上三角点までは行けなかったのが残念でした。後で聞くと、霧で足元が見えずらく、もし、道に迷ったり、足を踏み外したりする危険を避けたという事でしたが、おかげで、1本早いバスに乗車もでき、今回は早い目の解散でした。

 

テキスト:司馬遼太郎『街道をゆく①』、黒岩重吾『ワカタケル大王』ほか

コース  :近鉄「御所」駅=<バス>=登山口駅=<ロープウェイ>=山上駅…葛城天神社…阿波野青畝句碑…白樺食堂休憩所…葛城高原ロッジ・研修センター(講義)…西口紋太郎文学碑など周遊…山上駅=<ロープウェイ><バス>=「御所」駅≪解散≫

 

<報告:岩井よおこ>

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