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2013.11.19 【報告】
第481回関西文学散歩
~「軍師官兵衛」と「播磨風土記」の里、御着を歩く~
2013年11月10日(日)終了 <天気:曇り時々雨 参加人数52名>
見野古墳・石舞台型石棺にて
御着城址と天川橋

 JR御着駅を降りると、ホームや駅頭に「軍師官兵衛」のポスター、駅前広場では「軍師 官兵衛」の幟がはためいて、早くも歓迎ムードです。でも、まずは「播磨風土記」の探訪。そう、この辺りは、国府が置かれたという姫路市内に対し、古代の播磨国分寺・国分尼寺があったところで、市川を挟んで東側の当地は聖地と見做されていたのだそうです。駅から5分ほどの所に国分寺跡が広がっていて、塔の基壇と柱跡も残されていました。

 跡地北側、往時の講堂跡と思しき位置に、寛永16年(1639)に姫路藩主松平忠明の再建と伝えられる国分寺の伽藍が立ち、ご本堂の前には山号「牛堂山」に所縁する牛の石像が居座っていました。「天満宮の牛さんとは、性格や目的が違うのだね」と脇にいた人と話をし、神功皇后や聖徳太子にまつわる創建説話を聞きました。後の人は、かくして面白い物語を紡ぐものですね。その後に見学した壇場山古墳にも神功皇后の伝説があり、皇后が悪者退治の途中にこの山に立ち寄って壇を築き、戦勝祈願をしたとか…。

 そうして「軍師官兵衛」ゆかりの御着城跡へ到着。講演が行われた御国野公民館はお城を象った建物で、館の裏には見事な石橋が移築されています。皆で「すごいね、立派だね」と言いながらその石橋を渡り、西側の黒田家御廟(官兵衛の祖父と母の廟)に香を手向け、〝お城〟の玄関へ回りました。高山右近の影響を受けて洗礼名ドン・シメオンを名乗った官兵衛は、姫路で生まれ、この城の城主・小寺政職に仕えていました。12、3歳で母を亡くした官兵衛は、文学に耽溺したと言われますが、それが軍師としての素養を培ったのでしょうね。玄関前には顕彰碑が建ち、黒田家家伝の目薬「玲珠膏」の原料・メグスリノキがその横で紅葉していました。

 講師の冨士本健先生のお話は分かりやすく、面白く、まだまだ聞いていたかったのですが時間切れ。この後は、再び「風土記」の世界へ。見野古墳群は10基以上の古墳が露出点在していて圧巻です。とくに石舞台石棺は見事で、その前に真っ赤なカンナが夏の遅い終わりを歌っていました。

 

テキスト:『播磨風土記』、司馬遼太郎『播磨灘物語』

コース  :JR「御着」駅…播磨国分寺跡・牛堂山国分寺…壇場山古墳…御着城跡(講演・昼食)…見野古墳群(1号墳~10号墳)…見野の郷交流館バス停=<バス>=JR「姫路」駅≪解散≫

 

<報告:岩井よおこ>

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