関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

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2013.12.10 【報告】
第482回関西文学散歩
~「八重の桜」のもう一人の女主人公、中野竹子と会津魂~
2013年12月8日(日)終了 <天気:晴れ一時時雨 参加人数79名>
高先生と講演風景

 本日は表題のとおり、中野竹子さんのお話。それも、竹子さんの妹、優子さんの曾孫でいらっしゃる歌人の高蘭子さんを奈良からお迎えして、お話をうかがえるという。空はいっとき時雨れたが、すぐに青空が戻り、冬にしては温かな日差しで有難い。集合駅から歩いて5分ほどの京都教育文化センターでは、すでに高先生がお待ち下さっている聞き、気が逸る。

 年表や家系図、会津を落ちて移住したという津軽下北地方の略地図、中野竹子の略記などが綴じられた資料をいただき、概説の後に一通の長いお手紙を披露して下さった。「娘子軍」を束ねたのが竹子だったのか、母親の高子だったのか、また別の女性だったのか、あるいは自然に合い寄ったのか? 今では事実は分からないが、その手紙の最初は、会津で中野竹子ばかりが脚光を浴びているのが小憎いという内容だった。しかし、書状は進むにつれ、事情がよく分かり今は竹子への愛惜、尊敬が募ると……。ここまで読み進まれて、会場は聞き入りしーんとなった。皆、その差出人の素直な感情、そして竹子女史との間に生まれた熱い交感に感激したのだろう。

 会の終盤に参拝することになっている会津墓地に手向けて下さいと、会津の蝋燭を司会者が預かってお見送りし、我々は昼食後、東北院へ向かった。竹子の「武士の猛き心にくらふれは数にも入らぬ我が身なからも」の辞世の歌、その才を継がれて歌人でいらっしゃる高先生をなぞってのことだろう。謡曲「東北」に名高い和泉式部の〝軒端の梅〟にゆかりのお寺である。寺観は荒れた印象だったが、それだけに式部の昔が偲ばれて興深い風情である。

 真如堂の境内を抜け、金戒光明寺への道筋に会津藩殉難者墓地があった。一時は荒れていたと聞いていたが、整備されて参詣者も多いようだ。あちこちに線香の煙。司会者が預かってきた蝋燭を慰霊碑に手向け、皆で合掌。下北の辛い暮らしを凌いだ人たちに改めて思いを致した。

 

テキスト:天野純希『戊辰繚乱』、星亮一「女たちの会津戦争」

コース  :京阪「神宮丸太町」駅…京都教育文化センター(講演)…熊野神社…<神楽岡通り>…後一条天皇陵…和泉式部の軒端の梅旧跡(東北院)…真如堂…会津藩墓地…金戒光明寺≪解散・最寄り駅は神宮丸太町駅≫

 

<報告:岩井よおこ>

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