関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

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2015.03.19 【報告】
第496回関西文学散歩
~帝塚山派の小説家たちと藤澤桓夫顕彰碑~
2015年3月8日(日)終了 <天気:曇り 参加人数71名>
帝塚山古墳で
「マッサン」の旧邸跡へ向う道

 本来の古墳、手塚が帝塚山となったのはいつ頃か。江戸時代の『摂津名所図会』にすでに〝帝塚山〟と記されているそうだが、明治天皇が陸軍の大演習をこの小高い塚から望見されたという由来がある。その周辺が大正時代に耕地を区画整理して宅地になった後、市内の旦那衆の自宅が軒を並べるようになり、次第に大阪の高級住宅街の代名詞ともなっていった。

 マッサンとエリーの物語はテレビドラマで広く知られるようになったが、そんな町の一角で二人は暮らし、今日のテーマは「大阪市中心部とは趣の異なる文化・文学環境を育んできた町で、その中心にあったのが帝塚山学院と藤澤桓夫(たけお)」であった。そして今回は、南海粉浜駅から翌週15日に除幕式を控える藤澤桓夫邸跡顕彰碑まで、新たに命名された「帝塚山文学回廊」をたどることになった。

 いつもよりやや多い人数が粉浜駅に集合、まず当駅近くに住まいしていた万葉の碩学・犬養孝氏の筆になる「粉浜の蜆」歌碑から、六代目笑福亭松鶴の弟子たちが「ためいき坂」と呼んだという坂を上ると、松鶴しもた屋「無学亭」があった。狭い道路際なので滞留は憚られたが、いまも落語会が開かれているという。帝塚山古墳は普段は入場できないが、本日は管理する常磐会の方々のおかげで高みに登ることができ、ここでまず、講師の八木孝昌先生から明治天皇の演習総覧のお話を聞いた。マッサンこと竹鶴政隆夫妻が住んでいたという「蔵のある町」から南へ戻ると帝塚山学院で、教鞭を取っていた時代のエリー(リタ)の写真も拝見。展示室では庄野英二、潤三、織田作之助賞受賞の至(いたる)の庄野三兄弟、阪田寛夫や長沖一、杉山平一など、学院ゆかりの作家たちの写真も見、講座室に移って八木先生から往時のお話を伺うと、「帝塚山派」と表題された言葉が実感できる。

 学院からはさらにマッサンが働いていた摂津酒造跡、かつての藤澤邸から山門を移築した一運寺、そして最後に藤澤桓夫邸跡顕彰碑が一週間後の除幕式を待っていた。

 

テキスト:藤澤桓夫『人生座談』『大阪自叙伝』、庄野英二『帝塚山風物誌』、庄野潤三『プールサイド小景』、庄野至『三角屋根の古い家』

コース:南海「粉浜駅」…「粉浜の蜆」万葉歌碑…「無学亭」(外観のみ)…帝塚山古墳(特別拝観)…マッサン住居跡…帝塚山学院(講演・見学)…摂津酒蔵跡…一運寺…藤澤桓夫顕彰碑…大歳神社…住吉大社(解散)→<最寄駅・南海「住吉大社」駅、阪堺「住吉鳥居前」>

<報告:田淵浩一>

 

織田作之助賞
織田作之助青春賞
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