関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

ホーム > 関西文学散歩 カルチャーウォーキング > 報告 > 詳細
2019.03.29 【報告】
第543回
~山背古道に、橘諸兄と藤原仲麻呂の対立を見る~
2019年3月10日(日)終了 <田原由美子記>
井手町から京阪奈丘陵を望む
井提寺跡

天気:雨 参加人数:41名

 今回の集合地はJR「玉水駅」。当日の天気予報は雨。せめて午後二時くらいまでお天気がもってくれることを期待したが早々に雨は降り始めた。寒さも雨も予想してそれなりの準備はしてきたが、歩き出したら小止みになり、途中暑くなり汗ばむほどになった。このカルチャーウォークは一万歩ぐらい歩くことはままある。雨にぬれた落葉や苔ですべらぬように足もとの悪い階段や坂道を歩く苦行となった。

 今回の講師はエッセイストであり、「かぎろひの大和路」代表の田中龍夫先生。歩く途中でいろんなお話を伺うのも楽しみのひとつである。奈良方面にはお詳しく、今回のテーマ「山背古道に橘諸兄と藤原仲麻呂の対立を見る」にどんな解説を加えて下さるか期待が高まる。事前に参考文献の澤田ふじ子『天平大仏記』を読んだが、何回も訪れたことのある東大寺の大仏建立の陰にそんなドラマがあったとは知らなかった。

 天平15年10月、聖武天皇より金銅盧舎那大仏造顕の詔が出された。当時、律令政治は全ての面で破綻に瀕していた。旱魃(かんばつ)や大地震、天然痘の蔓延もあった。盧舎那仏の功徳を説く華厳経。蓮華世界に君臨し千枚の蓮弁に百億の釈迦を現出させて真理を説き、また百億の釈迦が人間社会に現われて法を説く。百億の釈迦を統括するのは盧舎那大仏である。華厳経の説く蓮華世界。盧舎那大仏が天皇や皇后を蠱惑(こわく)したのは災害の続くそんな社会情勢の中でだった。聖武天皇は、光明皇后や藤原仲麻呂にとってばかりではなく橘諸兄も傀儡に等しい。仲麻呂と諸兄の権力争いもあり、5年間に4度の遷都、そして2度にわたる大仏造立開始と、混乱をまねくことになる。

 高さ16mに及ぶ大仏鋳造にあたり、手技をもつ奴婢を平民と同じくする旨の詔が出された。良民になることができ普通の暮しが営め自分の子供に賤民として生きることを課せずにすむ。造仏工たちは希望を持つ。山背国葛野郡の秦氏は古くから銅工、鋳工、土木工、織工などさまざまな技術を持つ奴婢を擁し、また、すぐれた鋳造技術には定評があった。紫香楽で始まった盧舎那大仏造立は、5年を経て紆余曲折の末、平城京で完成されることになる。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:澤田ふじ子『天平大仏記』(中公文庫)、宇治谷孟・訳『続日本紀 現代語訳』(講談社学術文庫)

コース:JR「玉水」駅(集合)―井堤寺跡―六角井戸―橘諸兄旧跡―井手町まちづくりセンター椿坂(昼食と講演)―小野小町塚―地蔵禅院―玉津岡神社―高神社―JR「山背多賀」駅(解散)

<報告:田原由美子>

織田作之助賞
織田作之助青春賞
文學回廊
入会のご案内はこちら
PDFの閲覧はAdobe Readerを
ダウンロード(無償)してください。
ページの先頭へ