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2020.10.21 【報告】
第559回
~在原業平の住まいから「業平道」をたどる~
2020年9月13日(日)終了 <岩井よおこ記>
馬出(うまだし)
在原神社(在原寺跡)

天気:曇 参加人数:46名

 櫟本は難読駅名の一つで「いちのもと」と読むそうだ。天狗が住む大きな櫟(いちい)の木が近くにあり、それが地名由来になったという説もある。天気は晴れ、ウォーキングには歩きやすい気温でラッキーだ。駅から真っ直ぐの道を東へ向かうと、「上ツ道」と呼ばれた古代からの街道に交差する、と教えられた。この道は7世紀半ばに整備された奈良盆地の平坦地を通る最も東寄りの街道で、その西側に約2㎞強の間隔で「中ツ道」「下ツ道」が平行していたという。今日は、まずそんな古代道路を歩く。

 途中、自治会館前に説明板があり、この辺りに「馬出(うまだし)」と呼ばれる施設があったことが分かる。ちょっと会館の角を曲がって寄り道すると、家の前に、馬の繋ぎ場のような施設があった。近世街道用語の「問屋場」「乗り継ぎ場」のようなものかと想像してみる。

 在原業平と思しき伊勢物語の主人公・昔男は、ここらあたりで馬を調達し、春日の里まで信夫摺りの狩衣を着て上ツ道を駆けていったのかもしれない。歌が残されている。「春日野の若紫のすりごろもしのぶの乱れかぎりしられず」(伊勢・初段)。その昔男の住まいはここから徒歩10分ほどだった。その住居だったという在原神社は、寂びていた。明治9年までは、ここに在原寺という寺院があったという。本堂や庫裡や鐘楼などもあったはずだが、いまは小さな祠だけがある神社だ。神主さんもいない。放置されるに任されている感じだ。しかし「筒井筒」の井戸が境内にあり、向かい側には芭蕉の「うぐひすを魂(たま)に眠るか矯柳(たおやなぎ)」という句碑があった。業平の妻は、紀有恒の娘とされており、二人は幼いころにこの井戸のところで遊んだのだという。今年1月、8月と、業平道をたどり河内を訪ねたが、いま、昔男と同じスタート地点に立てたと思うと感慨ひとしおである。高樹さんの『小説伊勢物語 業平』では、第23段の「河内通い」の話は取り上げられておらず残念だが、「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしも妹見ざるまに」(伊勢・23段)、と業平と思しき昔男が妻になる女性に愛情を注いでいる心が読み取れる。

 しかし、昔男は心がわりする。妻の実家が逼塞したらしく、生活が苦しくなり、他の女性を物色し始めた昔男は、河内の国、高安郡の女性の許へ通い始めたというのだ。そして妻は「風吹けば沖つ白浪龍田山夜半にや君がひとり越ゆらむ」と詠うではないか、昔男は、河内女の行儀の悪さもあり、それでいたく反省したのだという。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:高樹のぶ子『小説伊勢物語 業平』(日本経済新聞出版部)

コース:JR「櫟本」駅…上ツ道・馬出し跡…在原神社(在原寺跡) …鉾立神社…業平姿見の井戸・与謝蕪村の句碑…伊豆七条の集落…五輪搭覆堂(筒井順慶墓) …近鉄「平端」駅…<ここから先は希望者のみ>…筒井城跡…JR「筒井」駅

<報告:岩井よおこ>

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