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2020.10.23 【報告】
第560回
~明智光秀の丹波平定と亀山城址を訪ねて~
2020年10月11日(日)終了 <石元英雄記>
天守石垣跡
亀山城外堀跡

天気:曇のち晴れ 参加人数:63名

■亀岡市の礎を築いた明智光秀はよく働く
 信長の命により光秀が丹波に攻め入ったのは天正3年(1575年)7月。初戦では大敗北。その上、大坂本願寺への転戦中には、過労のため病に倒れるアクシデントもあった。5年の歳月を要して丹波を平定し、今日の亀岡市の礎を築いた。この間、光秀の正妻は彼の看病に尽くしそれがもとで亡くなったことや、人質に差し出された実母は、信長が敵将を処刑したことにより、磔け刑にされたことも記憶に留めたいものである。
 光秀は超々働き者だ。今回のテキスト『図説 明智光秀』(柴裕之著)や『明智光秀・秀満』(小和田哲男著)を読み進めると、信長の求めるままに東奔西走する光秀の超人ぶりが浮かび上がってくる。
 信長は、現代の「ブラック企業」さながら、光秀をこき使っていたのだ。

■10時に集合し、まず亀岡市立文化資料館に行く
 亀岡文化資料館3階の研修室で、学芸員の大欠哲(おおがけ あきら)さんから、光秀が丹波に進攻し平定した様子や亀山城築城の経緯、本能寺の変の前夜のことなどを1時間ばかり伺った。
 今回は、会員以外の方が大勢参加され、参加人数は60人を越えていた。会場はそれほど広くなく、多少「密」ではあった。しかし、大欠さんから、レジュメ(A4、4ページ分)と光秀の書状などの資料集(A4、4枚分)を配布頂き、話しぶりは流ちょうではないが、書状などの古文書や掛け軸絵図などをスクリーン映し出しながら、丁寧に解説して下さり、理解しやすい講演で、光秀を身近に感じることができたところである。

■南郷公園で昼食
 資料館1階の常設展示『亀岡の歴史と文化』などを見学し、『亀岡祭りの絵画』を鑑賞した後、亀岡城祉北側の南郷池(堀跡)に向かった。池では亀岡市民とおぼしき数人が、釣り糸を垂れている。その前の南郷公園で三々五々、弁当となった。天気は薄曇りで気温もほどよい、ランチタイムであった。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:小和田哲男『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ出版)、柴裕之『図説 明智光秀』(戎光祥出版)

コース:JR「亀岡」駅…亀岡市文化資料館…亀山城址(本丸跡~天守石垣跡~二の丸土塁遺構) …城下町巡り(外堀・親水公園など)…「麒麟がくる:京都大河ドラマ館」(解散/入館料600円・自由見学)…JR「亀岡」駅

<報告:石元英雄>

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