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2021.12.20 【報告】
第563回
~門跡覚慶が新将軍となった矢島御所を訪ねる~
2021年11月14日(日)終了 <田淵浩一記>
矢島御所跡碑
矢島自治会館前で

天気:晴れ 参加人数:39名

 今回もコロナの緊急事態宣言で二度の延期の後、「三度目の正直」の開催であった。遠方にも関わらず、39名の参加者は、JR[守山駅]西口の広場に、集合場所の改札口から降りてこられていた。ここから、バスに乗るためだ。その簡単な説明があり、近江鉄道バスの係員の誘導で、臨時バスに乗り込む。定期の路線バスだと、11時出発で1時間後になるために、臨時のバスをお願いしたのだという。帰りもこの方法で、「赤の井別院」というバス停から守山駅まで、乗車するらしい。

 バスが出発して我々は30分程の「矢島南」停留所で降車したが、門跡覚慶(足利義秋、後に改名して義昭)は、甲賀の和田惟政の屋敷から遠路、徒歩でここまで来たわけだ。身の上がどうなるのか不明である。疑心暗鬼が重なって、どれほど心細かったことだろう?

 「江湖に落魄して暗に愁を結ぶ 孤舟に一夜の思は悠々 
    天公は亦吾が生を憫むや否や月は白し蘆花浅水の秋――義秋」

 少林寺の裏手の公民館前の石碑にある、この義昭の漢詩の心境を思えば、僕も胸が締め付けられる。門跡のままならば、かなり優秀な人であったそうだから、一角の僧侶に出世していただろうに、運命の歯車はそれを許さなかった。乞われるままに、奈良興福寺の一乗院から甲賀へ、そしてここ守山の矢島へやってきた。近江六角氏が、家臣の矢島氏に命じてここに新御所を用意してくれた。そして還俗し、新将軍を拝命するようにと請われる。門跡覚慶はいよいよ名を変えて、足利義秋を名乗る。「秋」が寂しい字形だと思ったのか、「昭」と変えた。室町新将軍・第13代義昭の誕生が、ここであると、矢島の人たちは信じている。しかし再び義昭の運命は六角氏の離反で暗転する。

 水上勉氏は、著作「流れ公方記」で、門跡覚慶は新将軍になって名を変え、矢島から僅かな供を連れて田舟で琵琶湖に漕ぎ出し、別の船に乗り換えて琵琶湖を対岸に渡ったとしている。その後、父・足利義晴ゆかりの秀隣寺に立ち寄ったようだし、そこから若狭、そして越前一乗谷の朝倉氏を頼った。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:水上勉『流れ公方記』(集英社文庫)、井沢元彦『逆説の日本史-9』(小学館文庫)

コース:JR「守山」駅=<路線バス・臨時>=「矢島南」バス停…武道天神社…矢島御所跡の碑…少林寺・室町庭園…大庄屋諏訪屋敷(見学は希望者のみ、別途入館料)…赤の井別院…「赤の井別院」バス停=<路線バス・臨時>=「守山」駅

<報告:田淵浩一>

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