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2022.05.27 【報告】
第567回
~源頼朝の祖先「河内源氏」発祥の地を辿る~
2022年4月10日(日)終了 <田淵浩一記>
大黒寺(大黒天像)
八幡太郎義家の墓

天気:晴れ 参加人数:43名

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は2022年1月19日からスタートし、今晩の放送が14回目。いよいよ木曽義仲の登場だ。この人は、強かったらしい。後白河法皇との確執さえなければ、武士の頭領は木曽義仲だったかもしれないな、と妄想する。そんな強い「源氏」の礎となり、源氏を育んだのが本日の訪問先「河内源氏の里」=羽曳野市壷井である。この、かつて「香呂峰」と呼ばれていた壷井の最寄り駅は、近鉄南大阪線「上ノ太子」駅だが。一つ手前(阿部野橋寄り)の「駒ヶ谷」駅が本日の集合駅である。「駒」=「馬」である。さらに妄想すると「駒ヶ谷」駅の手前、<石川>の右岸が駒ヶ谷。その東側には、谷を隔てて河内源氏の本拠地として知られる壷井(香呂峰)や、通法寺跡が所在する。

 ブドウ畑を横目に見ながら、まず最初に訪れたのは「源氏」とは所縁がないであろう、大黒寺だった。この寺は、日本で最初に大黒天が祀られたという由緒をもつ。寺の縁起によると、天智天皇4年(665)正月甲子(きにえね)の日、修験道の祖・役行者が、金剛山に籠り孔雀明王経を誦えて諸仏諸神に人々の救済を祈願していると、不思議な事に大地が震え、天空が薄暗くなり、五色の雲がたなびき、その雲の中から大黒天が現れ「お告げ」があったという。そして、この地を示し「我を、ここに祀れ」とでもいったのだろうか。で、いまもその大黒天が祀られている。靴を脱ぎ、お堂を廊下伝いに巡ったが、その二つ目の仏堂と三つ目の法堂の間の渡り廊下に、北条泰時(義時の長男)が奉納したという杓が展示されていた。源氏とは所縁が無いだろうと思っていたが、北条義時といえば、いま放映中のドラマの主人公(配役・小栗旬)である。東側の丘を越えると、「香呂峰」、河内源氏の本拠地なのだ

 大黒寺を辞去して、脇の小径から東南へと進む。この辺りで、河内源氏の初代頭領・源頼信が馬とともに駆けていたのかもしれないな、とまたもや妄想する。いまは、辺りの丘は殆どがブドウ畑。そう、ここは河内ワインのブドウの産地なのである。丘を下り左に曲がると滔々と石川の流れ、この川は、今はやがて大和川に注ぎこみ、大阪平野を潤している。その北側段丘で、源頼信の孫の八幡太郎義家・加茂二郎義綱、新羅三郎義満(光)の強者の兄弟達も、武術・馬術の技を大いに競い合い、戦闘能力を磨いたのかもしれない。

 初代頼信、二代頼義、三代義家の墓をこの辺りでは「源氏三代の墓」と呼んでいる。清和源氏の血を引く源頼信は現在の川西市多田にいたが、河内国赴任を機に広い土地を求めて兄弟と分かれ、ここに「香呂峰」を建てて「河内源氏」の本拠地とした。そして頼信は遠く房総三か国で起きた反乱「平忠常の乱」でこれを鎮圧、「武家」として名を馳せた。さらに奥州へ赴任した二代頼義が「前九年の役」に勝利、長男の義家とともに東国武士団を結成、「後三年の役」も鎮圧し『武家の棟梁』の地位を確立した。

 この頼義の息子たちは、八幡太郎・賀茂二郎・新羅三郎という異名でも呼ばれ、武芸の神になるほどに頗る強く、太郎義家から為義―実朝―頼朝・義経が出て、為義―義賢の系統からは木曽義仲を輩出している。ほかに、三郎義満系から後の武田氏(甲斐源氏)、佐竹氏(常陸源氏)、平賀氏、太郎義家系からは別に石川氏、新田氏、足利氏を輩出し、武家社会だけでなく、平家亡き後の日本を支えていったと言えるだろう。

 系譜を繙くとキリがないので本編に戻るが、本日は、壷井八幡宮の宮司さんが午前中、多田神社(川西市、清和源氏の祖となる神社)のお祭りに出向されているので、今日の講師でもある横井先生のお話を八幡宮集会所で聞いた後、現地散策となった。通法寺は二代頼義が、焼けた草堂に安置されていた等身大の千手観音を見つけ、壷井に持ち帰ってこれを本尊とする御堂を建立、合わせて新たに阿弥陀如来像を建立して河内源氏の菩提寺にしたという寺院。建物は、山門と鐘楼しか残っていないが、旧境内に頼義の立派なお墓があり、全体を覆う草いきれの中でいまも呼吸しているようであった。

 その通法寺跡を裏側から出ると、目の前に香呂峰館跡の説明板があり、いまは畑が残るのみであるが、「売地」の看板が時代の盛衰を感じさせた。「誰か、この香呂峰跡を買いませんか~」と参加されている人の冗談交じりの声が聞こえてくる。香呂峰跡の南側の小高い丘の上に古墳があり、階段が取り付けられている。上の墓は、八幡太郎義家のものである。階段がしんどい人はと、横井先生が迂回路を案内する。墓を回り込んで裏側から入るらしい。さらにその南側にもう一つ、源頼信の古墳があってお参りした。

 これで「源氏三代の墓」すべてを回ったわけだが、最後に再び壷井八幡宮に立ち寄った。宮司さんが帰って来られてる筈だ。「京都六孫王神社、摂津多田神社」と並ぶ源氏三神社の一つという壷井八幡宮の正面の急な石段を上ると、右側に樹齢1000年を超える立派な楠木が聳えていて、しばし、その雄姿に見とれた。楠木に抱き着いている参加者もいる。分かる、その気持ち。本殿は平成7年の再建とされるが、河内源氏の氏神として尊崇され、折からサツキが彩りを添えていて、本殿の横には義家の歌碑「吹く風をなこその関と思えども道もせに散る山桜かな」が佇んでいた。宮司さんが多田神社から帰られて、宝物である太刀・天光丸と、源氏白旗を見せて下さった。何よりのお土産である。

 

テキスト:高橋直樹『源氏の流儀』(文春文庫)

コース:近鉄南大阪線「駒ヶ谷」駅…大黒寺…壷井水…壷井公民館(八幡宮集会所)…通法寺跡(河内源氏二代・頼義の墓)…香呂峰(河内源氏居館)跡…河内源氏三代・義家墓…初代・頼信墓…壷井八幡宮…近鉄「上ノ太子」」駅

<報告:田淵浩一>

 

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