JR三郷駅。普段は通り過ぎてしまうだけの駅で、殆どの参加者がそうであったらしいが、僕もこの日、生まれて40年余、はじめて駅頭に立った。すぐ側の園庭、岩組みの真ん中に能因法師の歌碑、「嵐吹く三室の山のもみじ葉は龍田の川の錦なりけり」が組み込まれていた。
現在、竜田川と呼ばれている川は、ここから東、近鉄生駒線に沿って南流し大和川に注いでいる。だが、さきの能因法師や、「ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれないに水くくるとは」と詠んだ在原業平の時代は、別の流れを竜田川と呼んでいたというのが今日のカルチャーウォーキングのテーマだ。歌に詠まれている三室山も東西それぞれにあり、三郷町に龍田大社、斑鳩町に竜田神社がそれぞれ鎮座しているという。僕同様、いささか謎めいたテーマに興味をそそられた方が多かったのか、駅頭も参加者で混み合っていた。
まずは、予定外(案内の「針薬師」が移動修復中で拝観不可ということで…)の「岩瀬の杜」と鏡女王の万葉歌碑を見学。駅の南西に「神奈備の岩瀬の杜(いわせのもり)の喚子鳥(よぶこどり)いたくな鳴きそ吾が恋まさる」の歌碑があったが、本来、杜は駅北東の関屋川沿いであったという。河川改修でここに記念公園が設けられたと、講師の田中先生の説明であった。龍田大社では権禰宜さんのお話を聞いたが、ここからは残念ながら、信貴山の南、生駒山脈最南端の三室山の山容は見えない。「もう少し神社から離れたら見えますよ~」という声に励まされ三郷町立図書館へ向かう。視聴覚室で小一時間ほど、田中先生の講演を拝聴し、上田秋成が紀行『岩橋の記』に「…今は其坂道を亀瀬越といへり。さてよ此流を大和川と呼ぶは、さる事にて、昔は龍田川と云ひし也…」と書いていることを知った。そしてもう一つの三室山の能因法師と業平の歌を紹介したレリーフを見学、現在の竜田川沿いに竜田神社へと向かった。「二つの三室山と竜田川」―― まさかこの辺りの大和川が竜田川と呼ばれていたとは、ということで、すっきり謎が解けたウォーキングだった。
テキスト:上田秋成『岩橋の記』・在原行平と能因法師の歌
コース :三郷駅…駅前の歌碑…岩瀬(磐瀬)の杜…神南備神社…竜田大社…三郷町立図書館(講演)…三室山の歌碑…竜田川公園…竜田神社(解散)…バスまたは徒歩でJR王寺駅
<報告:田添浩一>