関西文学散歩 カルチャーウォーキング 詳細

ホーム > 関西文学散歩 カルチャーウォーキング > 報告 > 詳細
2016.12.05 【報告】
第516回関西文学散歩
~町が「長岡京ガラシャ祭」で染まる日~
2016年11月13日(日)終了 <天気:晴れ 参加人数44名>
神足神社(勝竜寺城空堀跡)
勝龍寺にて

 集合時に貰った本日のレジュメには「ガラシャまつり」の巡行予定表が1頁目にあり、いつもの資料とは趣きが少し違っていました。それによると、細川ガラシャこと明智玉(玉子などの記録もある) の輿入れ行列の勝竜寺城跡公園到着は14:00になっていて、午前中は文学散歩、昼食後、随意〝まつり〟を楽しむ予定のようです。

 集合地からまず向かったのは、駅名の由来でもある「長岡京発見之地」の石碑でした。幻の都と言われた長岡京を、発掘によって歴史の1頁に加えられた中山修一氏(1915〜1997)を顕彰する碑です。氏は、小・中・高等学校の教員をしながら長岡京研究に没頭、昭和29年に発掘に着手され、翌年、正庁である朝堂院南門跡を発見されたそうです。その発見は、幻、あるいはロマンである〝文学〟が、歴史という〝科学〟になった瞬間でした。その石碑を一巡し、「ガラシャ祭り」の準備をしている駅西側から跨線橋を渡り、再び駅東側に戻ると、集合時には気付かなかった神足館跡の碑が建っていました。

 明智玉が嫁いできた細川氏の勝竜寺城が破却された後、寛永10年(1633)に長岡藩主となった永井直清の居館(陣屋)がここにあったのだそうです。そこから弥生時代の神足遺跡、勝竜寺城の北の備えを果たしていたという空堀と土塁の遺構が見られる神足神社と歴史を巡歴、そして祭りの準備たけなわの城跡公園を傍目にしながら大手橋へ。空堀跡から大手門があったという大手橋まで、歩測で、意外に小さい城の規模や縄張りを想像することができました。集落に入ると城名の元である弘法大師ゆかりの勝龍寺。祭りだからでしょう、秘仏の観音様もご開帳、ご住職のお話を聞くことも出来て、思わぬ贈り物をいただいた気がしました。

 さて、いよいよお城です。公園整備されている本丸跡の南側の堀から高麗門を潜り、私たちは資料館になっている正面の二層櫓へ。櫓北側の空間一杯に、流路脇の沿道に花々を配した植え込みが整備され、正直、城跡というより公園の印象が強いと感じました。聞こえてくるのは東側の広場の「楽市楽座」の催しの音、地産地消品への呼び込みの声でした。私は昼食のお弁当を食べ、誘い合った数人とともに、集合時にいただいた最寄駅までの地図を片手に旧西国街道の町並みを体感しながらJRの駅へ。私たちは駅前で「お輿入れ」の行列が来るのを待つことにしたのです。近江坂本から輿入れしてきた玉の巡行は、三浦綾子さんの『細川ガラシャ夫人』の描写が秀逸だと私も思います。まさか、父が信長を討つとは思いも及ばない青春時代だったでしょう。

 

テキスト:三浦綾子『細川ガラシャ夫人』(新潮文庫)、吉川英治『日本名婦伝─細川ガラシャ夫人』(講談社・吉川英治文庫)

コース:長岡京駅…長岡京発見之地石碑…神足館跡…ガラシャ通り…神足遺跡…神足神社…勝龍寺…勝龍寺城址公園(「長岡京ガラシャ祭」行列など見学・解散)…最寄り駅:JR「長岡京」駅または阪急「長岡天神」駅

<報告:岩井よおこ>

織田作之助賞
織田作之助青春賞
文學回廊
入会のご案内はこちら
PDFの閲覧はAdobe Readerを
ダウンロード(無償)してください。
ページの先頭へ