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2018.09.18 【報告】
第538回
~わが国初の譲位と重祚―皇極(斉明)女帝をめぐる王族~
2018年9月9日(日)終了 <田淵浩一記>
JR掖上駅から出発
皇極(斉明)女帝車木ケンノウ古墳へ

※7月実施分が豪雨により中止となったため、本来の回数は537回ですが、JRふれあいハイキング掲載分にあわせて538回としております。

天気:くもり 参加人数:30名

 天気予報では雨だったが、曇り空になり、幸い傘は自宅へ帰る頃まで用無しだった。しかし、交通の不便さと雨の予報が重なってか、参加者は30名と寂しい。いつもの見知ったお顔ぶれが来られていないか、とキョロキョロ。しかし、初めてのお顔がチラホラ。事務局も和歌山線で会員以外の方が来られて、胸を一撫でというところか。

 さて、先ずは車木公民館へ向かう。車木の地名は「斉明女帝の葬送霊者車が来り止まるところという伝承がある。車来が後代車木にかわった」と配られたレジュメにある。越智崗上陵(車木ケンノウ塚)へ行く前に田中先生のお話を聞き、昼食を済ませようという計画らしい。公民館のクーラーが心地よく居眠りを誘うが、これは勿体ないと耳を傾ける。

 早目の昼食を済ませ、その古墳へ向かう。山の上である、美しい石段が伸びている。途中、大田皇女の陵墓があった。天智天皇の皇女で天武天皇の妃となり、大津皇子・大伯皇女を産むが、若くして亡くなり、妹の鵜野讃良皇女が天武天皇の皇后となった。斉明陵も大田皇女陵もここではなく、飛鳥の牽牛小塚古墳とその側の越塚御門古墳だとする説があるが、田中先生に見せていただいた石室内部の写真から、僕もやはりここである気がする。

 斉明天皇は重祚する前は、皇極天皇といった。押坂彦人大兄皇子の孫で諱は寳女王。「空中にして龍に乗れる者有り、…<略>…、馳せて膽駒(イコマ)山に隠れぬ」など、怪異な記事が『日本書紀』にあり、それでか、幼くして巫女として神に仕えたという。はじめ用明天皇の孫の高向王との間に漢皇子を産む。この二人については不明だが、後に舒明天皇の皇后となり、天智天皇、間人皇女、天武天皇を産んでいる。皇后位を受けたとき、権勢を奮っていたのは蘇我蝦夷と息子の入鹿であった。しかし、祖父の押坂彦人大兄皇子も、父の茅渟王も、この時代、珍しく蘇我本總家の血を引いていない。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:梅前佐紀子『皓月<①~③>』(幻冬舎ルネッサンス)、宇治谷孟・訳『日本書紀』(講談社学術文庫)

コース:「掖上」駅<集合>―皇極(斉明)女帝車木ケンノウ古墳(越智崗上陵)―光雲寺―有南神社―天津岩戸別神社―郡界橋―西光寺ふるさと公園―<希望者のみ//吉祥草寺>―「玉手」駅<解散>

<報告:田淵浩一>

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