こちらは終了致しました。
江戸時代後期、西鶴と並び称される小説家で国文学者の上田秋成は、晩年、姑と養母を看取った後に妻が去り、おまけに目を患いました。
そんな失意のなか、尼僧で歌人でもあった紫蓮(しれん:唯心尼)に誘われ、寛政10年(1798)に東大阪日下にある正法寺などに、約4ヶ月の間滞留しました。その間、庄屋の河澄家書院「棲鶴楼」で文芸サロンを開き、近在の文人達との交わりを通じて詩や歌を残し、また日下の村里の様子を伝える随筆集「山霧記(さんむき)」を著しました。
短いけれど濃密な時間を過ごした上田秋成の東大阪訪門――大龍禅寺や、指定文化財の河澄家住宅、正法寺跡などを辿ります。
*講師が同行します。雨天も実施します。