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2020.01.29 【報告】
第553回
~平安時代のプレイボーイが通った「業平道」を歩く~
2020年1月12日(日)終了 <岩井よおこ記>
横穴石室
柏原市歴史資料館での講演

天気:時雨のち曇 参加人数:51名

 JR高井田駅の北側に、生駒山の最南端の丘陵が駅のそばまで迫っていた。その丘陵が、高井田横穴古墳群である。柏原歴史資料館主査の山根航(わたる)先生が、駅まで迎えに来て下さり、横穴古墳を3基案内して下さった。古墳は調査済みのもので162基、実際は200基以上あるとされるそうだ。公園入口に近い3-7古墳と3-6古墳の鍵を空け、横穴石室を見学させていただいたが、線刻の文字や絵が描かれているのが懐中電灯に照らされて分かった。この丘陵一帯が墓地なのである。どれも被葬者は不明だそうだが、柏原歴史資料館の展示を見学し、5世紀後半にこの近隣に暮らしがあり、生活が営まれていたことを実感した。

 そして、展示館見学後、伊東講師のお話を聞く。この丘陵の中腹に沿い「龍田道」から分かれた「業平道」が伸びているのだ。古代の人も、在原業平も眺めた大阪平野が眼下に広がっている。当時は、大和川付け替え以前だから、平野には河内湖が広がっていた筈だ。そんな地形を想像しながら山懐の道を北へと辿った。『伊勢物語』が誰の作品であるか、また、主人公の「昔、男」が在原業平だとは確定していないのだという。しかし、私たちはこの道を「業平道」とよんで、在原業平だと確信して、今日は歩こう。彼は平城天皇の息子の阿保親王の五男という高貴な身分。しかし、そんな出自ながら、出世には縁がなく不遇をかこち、歌とおんな遊びばかりに励んでいたそうだ。業平は、出世街道からは外れるが、作歌の才能は当代1、2位で、当時は歌が女性にもてる必須アイテム。そんな平安時代きってのプレイボーイで、「昔、男ありけり…」の冒頭文でも有名な『伊勢物語』を世に残したのだ。

 天理市櫟本(いちのもと)近くに住んでいたという業平は、その自邸から高安(八尾市)の河内姫のもとへと通い、その話が『伊勢物語』-第23段「筒井筒」の話として記された。その河内通いの道が「龍田越え」で「業平道」と呼ばれるようになった。そんな短編125話を厳選し、「美男だと言われることには慣れている」でも<マイナスの魅力>を備えた男として業平を捉え、歴史的事実をすり合わせながら現代によみがえらせたのが三田誠広の『なりひらの恋』である。今日は時節柄、水仙の花が咲き競うその「業平道」を、歩ける筈だ。

 

 ≪全文は上記PDFファイルをご覧ください≫

 

テキスト:三田誠広『なりひらの恋』(PHP出版)、田辺聖子訳『現代語訳 伊勢物語』(岩波現代文庫)

コース:JR「高井田」駅─柏原市歴史資料館(講演)―「サンヒル柏原」(昼食)―歴史の丘展望公園─石神社─清浄水―観音寺(智識寺の法灯を継ぐ)―鐸(ぬで)比古鐸比売神社―近鉄「堅下」駅―JR「柏原」駅

<報告:岩井よおこ>

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