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2013.10.25 【報告】
第480回関西文学散歩
~北摂の里山は高山右近生誕の地~
2013年10月13日(日)終了 <天気:晴 参加人数55名>
右近生誕碑
キリシタン高札場

 今日たずねる豊能町高山は、北摂山地の山間にあり、千里中央からバスに乗ること50分程という大阪の秘境だ。そのバスも、千里中央からは2時間に1本の乗合路線というので、阪急バスのご厚意だそうだが、往復、参加者専用の臨時便が準備されていて、とくに復路は現地15:00過ぎの出発で助かった。

 主題は「高山右近」。北摂では高槻城の近くや、茨木市の山手の千堤寺見学が一般的で、僕も、右近が高山で生まれだったと初めて知った。講師の上山先生によると、8歳頃に父母とともに大和宇陀の沢城へ移り、15.6歳頃、松永氏凋落を受け再び高山へ、そして後に高槻城主にという経歴が一般的見解という事だった。

 いまこの集落は過疎化が進み、高山小学校は地域のコミュニティセンター「右近の郷」になっている。バスを「霊園10区」という停留所で降り、その「右近の郷」へ向かった。まずは上山秀雄先生の講演を拝聴し、昼食後、先生のご案内で「オラトリオ跡」へ向かう。右近の父飛騨守は、沢城で右近らとともに受洗した翌年、ロレンソ修道士とともに高山に残っていた母(右近の祖母)を訪ね、後に、母はこのオラトリオで受洗してマリアと名乗った。オラトリオはキリシタン迫害の後、西方寺として仏寺に復して現在にいたるが、そのお寺近く、高山城址の手前の八幡神が祀られた小高い丘の中腹に「高山右近生誕地碑」があった。

 「ここに高山城の下屋敷でもがあったのだろうか?」などと言いながら、生誕碑を写真に収め、「邪宗紋之義ハ固く禁止候事」の一条がある高札場へ。高札はレプリカということだが、それにしても「太政官」の署名は珍しい。高札の下に安置された地蔵の台座には十字の刻印を削ったような跡がある。茨城千堤寺の隠れキリシタン遺文も哀しいが、右近ゆかりの地だけに、高山のキリシタン迫害は過酷を極めたようだと想像できる。最後に、郷の中心部から少し離れた山の中で「北中マリアの墓」と伝えられ、一説には右近の祖母マリアのものかともいう墓所へ参った。北摂のキリシタンや隠れキリシタンの歴史は割合に解明されてきているようだが、高山は、まだこれからなのかもしれない…。

 

テキスト:長部日出雄『まだ見ぬ故郷』、フロイス『日本史』

コース  :地下鉄・北大阪急行「千里中央」駅=<バス>=霊園10区バス停…「右近の郷」(高山コミュニティセンター:講演)…「オラトリオ跡」(西方寺)…高山右近生誕地碑…キリシタン高札場…伝・高山マリアの墓(北口マリア墓)…棚田の風景…高山バス停=<バス>=「千里中央」駅≪解散≫

 

<報告:田添浩一>

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